P.-V.



やってしまいました。と言うより、やられてしまいました。Je me suis fait arrêter par la police. (警察に捕まってしまいました。) このブログも dans la prison (牢屋の中) で書いております。
というのは une blague (冗談) ですが、先日、横浜に夜1人で出掛ける用事があり、かなり寒く、少々荷物もあったので、通勤に使っている le métro (地下鉄) の la carte d’abonnement (定期) が切れていたこともあり、en voiture (車で) 行くことにしました。
しかし、なんと、いつも留めている場所が珍しく既に complet (満車)。仕方がないので、用事があるビルの en sous-sol (地下) にも確か un parking (駐車場) があったはずだと、行ってみることにしました。
ところが、なんと、100 yens par 10 minutes (10 分に付き100円) もするではありませんか!少なくとも 2 heures (2時間) はかかる用事だったので、前後合わせて1500円はかかってしまいそうです。近くのポルタやそごうなどで faire du shopping (買い物する) と une réduction (割引) があるようでしたが、le shopping の予定はなく、時間的にも難しそうだったので、少し la gare (駅)から離れたところなら moins cher (安い) かと、ちょっとぐるっと回ってみることにしました。
しかし、やはりどこも同じような le tarif (料金) で、約束の時間も迫ってきたため、元の場所に戻ろうと思いましたが、うろうろしているうちに来たことのない la route (道路) に出てしまいました。だいたいこっちの方角だろうと à gauche (左に) 曲がって、信号待ちをしていたら、la fenêtre (窓) をコンコンを叩く人がいます。どうやらそれは un gendarme (お巡りさん) 。un contrôle (検問) でもしているのかと、開けてみると、
「今、そこの交差点、左折しましたよねえ。そこ、左折禁止なんですよお。」
えっ!!まさかそんな・・・・。
と言う訳で、interdiction de tourner à gauche (左折禁止) の un procès verbal (違反切符;略して un P.-V. ) を切られ、7000円の une amende (罰金) を払う羽目になってしまいました。
こんなことなら、おとなしく¥1500 で le parking に止めていれば、そもそも地下鉄で来ればよかったと言っても後の祭り。せめてSP の岡田くんみたいなイケメンポリスなら少しは勘弁してやるのにと、私の le permis de conduire (免許証) を奪って la voiture (車) から離れる le gendarme の後頭部を飛び蹴りしたい衝動をぐっと堪えて、こんなことで le permis de conduire がまた当分 bleu かと思うと、気分の方がすっかり bleu な夜でした。
それにしても ¥7000。inattendu (不意) で bête (愚か) で inutile (無駄) な出費。
その晩は飲みに行ったことにしようとか、11月は体調を崩していて一日も晩酌をしなかったので、la bière (ビール) 代だと思えばいいとか、色々自分をなぐさめてみましたが、そもそもしていない出費を置き換えてみても何の意味もありません。
あんまり悔しいので、なんとかこの la dépense (出費) をなかったことにしようと、le bento (お弁当 ; ちなみに今フランスではお弁当が大流行りで le bento という単語が辞書に載ったそうです!) を作ることにしました。一日¥500 として、14個作れば¥7000 になる計算です。
そして今日で なんと le huitième (8個目) になりました。le frigo (冷蔵庫) にあるもん;allemand (アルモン=ドイツの) で作る「ドイツ弁当」、la veille の le bento と全く同じ déjà-vu (デジャブ=すでに見た) 弁当など、 もしも息子達が collégien (中学生) になった時に作ったら間違いなくグレるようなものばかりですが、le dîner (夕飯) もついでに作って mon mari に感謝されたり、外で買うものより塩分も脂肪も少しは控えめで、体にも家族にもお財布にも良いことばかり。これぞ災い転じて福となす?
でもエフィの今年のレッスンは22日まで。罰ゲームは l’année prochaine (来年) に持ち越しです。皆様、l’année prochaine も安全運転でいきましょう!  

crevettes


samedi dernier (先週の土曜日) は次男ルカの l’anniversaire de trois ans (3歳の誕生日) でした。3歳ともなると自分の l’anniversaire というものが分かるらしく、数週間前には、 突然 à table (食事中に)「ルカのお誕生日には『おめでとう』って言ってね」と可愛いことを言い出したり、« Je veux un vélo !» (自転車が欲しい!) と son cadeau (プレゼント) のリクエストをしたりしていました。

「ルカのお誕生日のケーキはどんなのにしようか?イチゴがたくさん載ってるのがいいかな?」と尋ねると、「うん、イチゴと、桃と、エビが載ってるやつがいい!」と自分の好物を全部言うルカ。当日は des fraises (イチゴ) が全面にたっぷり載っている un gâteau (ケーキ) を mon mari (ダンナ) が買って帰りましたが、周りの les fraises だけきれいに食べてしまうと、手を合わせて「ごちそうさま」をして、le reste (残り) は母にくれました。

我が家の息子達は2人とも甘い物より les fruits (果物) の方が好きで、毎回ほぼ同じことが繰り返されるので、次の l’anniversaire こそは une barquette de fraises (イチゴ1パック) を用意して無理矢理 des bougies (ろうそく) を立てようと思うのですが、やはり l’anniversaire は un gros gâteau (大きなケーキ) がないと寂しいですよね。

 さて、「エビ」のことはフランス語で一言で表せません。というのも、通常むき身で売っていて de la salade (サラダ) にするような小さなエビは les crevettes, もう少し大きいのは les gambas や les langoustines, それよりもっと大きな、日本で言う伊勢エビは les langoustes, オマール海老はほぼそのまま、les homards です。このように、種類によって全然呼び方が違い、日本語の「エビ」のような総称が存在しないのです。

でも、同じ la carapace (殻) 仲間の les crabes (カニ) を一緒にして les crustacés と言ったり、もっと大雑把に  les poissons (魚) 以外の海の食べ物をひとまとめに les fruits de mer と言ったりもします。les crustacés を辞書で引くと「甲殻類」と出ていますが、フランス人に « On va manger des crustacés ! » と言うと『わ〜ご馳走だ♪』と思われるのが普通で、日本人に「甲殻類を食べよう!」と言うのとは受け止められ方が少々違います。同じことを表す単語でも、使われ方や感覚が違うのは面白いですね。
  
    ちなみに、エビ好きの息子達のために le lendemain (翌日) は日頃からお世話になっている親しい友人一家と tata (= tante, 伯母さん;母の姉。叔父さんは tonton = oncle ) を招いて手巻き寿司パーティをしました。エビよりも何よりも、好きな人たちに囲まれて大勢で食べるのが楽しかったようで、終始ご満悦でお腹も心も一杯の様子の2人でした。

déco bento

la semaine dernière (先週)、息子達がお世話になっている la crèche (保育園) で une excursion (遠足) がありました。普段は給食ですが、この日は son casse-croûte (お弁当) と sa gourde (水筒) を各自持参しなくてはなりません。l’année dernière (去年) は初めてのことでしたし、早起きが苦手な母にとってはかなりユーウツなイベントでしたが、それでも一生懸命作ったつもりでした。でも、la photo (写真) を見ると、かなり sobre (地味) な la casse-croûte...。( un casse croûte 参照のこと)

cette année (今年) は、特にここ数ヶ月は夜の la leçon (レッスン) が増え、なかなか le dîner (夕食) を作ってやることも、一緒に食べることもできない日が続いているので、せめてお弁当ぐらいはがんばって作ってやろうと、数日前から sur internet (ネットで) 「子ども/お弁当/遠足」などの les mots clés (キーワード) を入れて、une recherche (検索) をしてみました。すると、出てくる出てくる、いわゆる「デコ弁」だの「キャラ弁」だのが、色々とヒットしました。なかでも目に留まったのは fin octobre (10月末) という時節柄、Halloween もの。実は個人的にはあんまり好きな行事ではないのですが、今年はこれでいくことにしました。
そして la veille (前日)、la liste des courses (買い物リスト) を手に、いそいそと近所の le supermarché (スーパー) に行ったら、なんと、よりによって fermeture pour les travaux (工事のため閉店)...。ここに暮らして早12年、こんなことは la première fois (初めて) で、すっかり出鼻をくじかれた母は、コンビニ弁当を朝買ってきて詰め替える、という去年も頭にふとよぎったよからぬ考えも浮かんだのですが、いやいや、今年は déco弁を作るのだ!と、気を取り直して en voiture (車で) 隣の街の le supermarché まで行って、色々と買い込んできました。


 そしてできたのが、これです!

ご飯の上には de l’algue (海苔) を un château の形に切って、les fenêtres (窓) は du fromage fin (スライスチーズ) を小さく切り、l’algue の切れ端を載せました。la chauve-souris (コウモリ) も de l’algue、la lune (月) は薄〜く切った de la carotte (ニンジン) です。  
おかずは、鶏つくねを平たくしたのに du fromage (チーズ) を un fantôme (お化け) の形に切ったものを貼り、les yeux (目) は des sésames (ゴマ)、 la bouche (口) はさっきの残りの de l’algue、la langue (舌) は先ほどの de la carotte です。今ひとつ可愛くならなかったのですが、ま、 les fantômes ですから、いいでしょう。
隙間には le casse-croûte 定番の des petites tomates (プチトマト) と du brocoli (ブロッリー) で彩りを添え、その両側に des petites saucisses (小さなソーセージ) を入れてみました。本当は、半分程の une saucisse に、シメジの傘の部分を un cure-dent (つまようじ) で刺して、un gland (ドングリ) を作ったのですが、横から mon mari (ダンナ) が、 気が付かないで le cure-dent を一緒に食べちゃったら大変だと言い出し、« Je vais faire un fantôme.» (お化けを作ってあげる) と un couteau (包丁) を手に参加してきたのですが、今ひとつ納得のいく形にならず、結局、タコさん風の les saucisses が入りました。  
   
鶏つくねに un œuf (卵) を半分程使ったので、残りを卵焼きにしたのですが、隙間があまりに空いてしまったので、急遽、はんぺんを un cure-dent を使って un fantôme の形に切り、l’algue で le visage (顔) をつけて入れてみたら、意外と面白くできました。
そして、le dessert (デザート) は、une clémentine (みかん)。

フェルトペンで、le visage を描いてみました。写真ではよく見えませんが、ちゃんと la citrouille (かぼちゃ) 風に、筋も描いてあります。
トマが起きて来る前に作って、une surprise (サプライズ) にしたかったのですが、トマはいつもより早く起きてきて、しっかり見て「ハロウィン弁当だ〜!」と大喜びしていました。でも、son sac à dos (リュックサック) の中でどうなるか分からないので、原型を見せておいて正解だったかもしれません。
母としてはかなりがんばったので、ses amis (友達) や ses maîtresses (先生) に見せびらかすことを期待していたのですが、その晩聞いてみたら、 «Je l’ai montré à Yuto-kun.» (ユウトくんに見せたよ) とのこと。親の心子知らず、母の力作を見たのはどうやら仲良しのユウトくんだけのようです。そんな訳で、ここで見せびらかすことにしました。皆さん、母の les efforts (努力) を褒めてやって下さい!  

les contes


 我が家では、 les enfants (子ども達) を寝かし付ける時に des histoires (お話) を聞かせるのですが、たいてい les livres (本) を1、2冊読んでやって、その後は ipod に入れてある les contes (昔話) を小さな音で流して la lumière (灯り) を小さくします。その日によって、Jacques et le haricot magique (ジャックと豆の木) や  Ali Baba et les 40 voleurs (アリババと40人の盗賊) などのフランス語の les contes だったり、カチカチ山や金太郎などの les contes japonais だったりするのですが、最近は特に長男トマが les contes japonais がお気に入りなようで、毎晩 sans se lasser (飽きずに) 聞いております。
 les contes japonais はトマが誕生した際に、当時 mon mari (ダンナ) が担当していたクラスの les élèves (生徒) の皆さんから un cadeau (プレゼント) として頂いた CD付きの les livres で、2 contes par livre (1冊につきお話2つ) で全部でお話は20もあるのですが、もうほとんど par cœur (そらで) 言えるものもあるほどの熱中ぶり。弟ルカと遊んでいる時も、「よくもワシをだましたな〜!」と意地悪爺さんの la parole (台詞) が飛び出したりします。
 先日、用事があったついでに近所の un quartier résidentiel (住宅街) を une promenade (散歩) した時のこと。そこは比較的大きなお宅が多い地域なのですが、中でもとても立派なお宅がありました。トマは立ち止まり、「お母さん、これ、長者の屋敷?」と真顔で聞いてきました。「そうかもね。立派なお屋敷だね」と答えましたが、力持ちの働き者の若者に成長して、是非、長者の娘の婿になって欲しいと願う母です。
 それにしても、les contes japonais を大人になって改めて聞いてみると、C’est pas possible! (あり得ない!)と叫びたくなるようなことばかりですが、これがまたなかなか面白いものです。よく登場するのが「子どもが授からない夫婦」ですが、昔も la stérilité (不妊症) はあったのかなと、経験者としてしみじみ思いを馳せてみたり。結果的には様々な形で授かるところをみると、意外と「おばあさん」は今の自分くらいの年齢なのではないかと複雑な心境になったりもします。でも、une pêche (桃) の中から un garçon (男の子) が出てきたり、un bambou (竹) の中から une fille (女の子) が出てきたり、de la crasse (垢) を丸めて un bébé (赤ちゃん) にしたりと、昔の人の想像力の前には、子どもの la déclaration de la naissance (出生届け) は? le registre de l’état civil (戸籍) は?なんて突っ込みも忘れてしまいますね。
 さて、いろいろと intéressant (興味深い) ものが多い中で、私が結構好きなのは、さるカニ合戦です。ご存知の通り、cupide (強欲) な le singe (サル) が、le crabe (カニ) からおむすびを横取りした上に、柿を投げつけて殺してしまったため、その les enfants が  la vengeance (敵討ち) をするというお話なのですが、それに加担するメンバーと la manière (やり方) が何とも言えません。
  まず、le singe の留守宅で、un marron (栗) が囲炉裏の中に隠れ、une guêpe (ハチ) が  un seau (水桶、バケツ) の中に隠れ、une bouse (牛糞) が土間に隠れ、臼は sur le toit (屋根) に隠れます。そして le singe が帰ってきて囲炉裏で暖まろうとすると le marron が体当たりして une brûlure (やけど) をおわせ、急いで水で冷やそうと le seau に向ったら la guêpe が刺し、びっくりして家から逃げようとしたら la bouse で足を滑らせ、le toit から臼が落ちてきて、le singe は潰されて死んでしまう、というお話です。
 このメンツが集まって la stratégie (作戦) を練っているところを想像すると、何とも surréel (超現実的、シュール) ですが、自分も子どもの頃は、我が家の息子達のように、そんなことなんて全然考えずにお話を聞いていたはずだと思うと、あの pur (純粋な) 、素直な心は一体どこに行ってしまったのだろう、いつからこんなに tordu (ひねた) ものの見方をするようになってしまったのだろうと、一抹の寂しさも覚えます。時には、子どもの頃に戻って素直に le monde imaginaire (想像の世界) に浸るのも、必要なことかもしれませんね。

les véhicules


我が家から車で10分足らずのところに un hôpital (病院) があるからか、家の前の la route (道路) にはよく des ambulances (救急車) が通ります。hier (昨日) も la crèche (保育園) に行く途中、一台とすれ違いました。長男トマが、次男ルカに「ルカくん、ぴーぽーだよ!」と教えると、「にいにい、きゅうきゅうしゃだよ」  と冷静に答えるルカ。「知ってるよ・・・」ブスッと、でも少し寂しそうな兄でした。

les garçons (男の子) というのは、l’A.D.N (DNA) に組み込まれているのではないかと思うくらい、 les véhicules (乗り物) が大好きです。子どもができる前は、les parents (親) が les filles (女の子) には les poupées (お人形) や les peluches (ぬいぐるみ) などの、いわゆる les filles 向けの des jouets (おもちゃ) を、les garçons には les voitures (車) や les trains (電車) などの des jouets を与えるからそれぞれそんな遊びを好むようになってしまうのだろうと思っていました。

でも、我が家の2人の les fils (息子達) を見ていると、des jouets らしいものを与える前から、お菓子などの une boîte vide (空き箱) を手に持って、une voiture に見立てて「ぶーぶー」と遊んだり、まともにしゃべれもしないうちから、車で出掛けると、「タンクローリー!」「ゴミしゅうしゅうしゃ!」「ショベルカー!」などと、窓から見える「働く車」に反応しておりました。2人のお気に入りは「にゃーにゃートラック」なのですが、これはなんでしょう?分かった方は、是非、コメントして下さい。

さて、ルカの2歳児クラスは「ほし組」という、宝塚のような名前なのですが、30人程いるため、2つのグループに分かれています。今年度前半は le gorille (ゴリラ) と le buffle (バッファロー) の2つのグループに分かれており、ルカは le gorille だったのですが、後半は「しんかんせん」グループになったと本人が言うので、「もう1つは何グループ?」と聞くと、「ゴミ収集車だよ」とすました顔で答えます。

まさかそんなはずはないと、le lendemain (翌日) クラスで確かめると、la pelleteuse (ショベルカー) でした。あんまり面白いので la maîtresse (保育士の先生) に話すと、今年は子ども達にグループ名を決めさせたところ、本当はやはり「ゴミ収集車」が大人気だったとのこと。
でも、さすがに「お宅のお子さんは『ゴミ収集車』グループです」と言われると、保護者としてはちょっと複雑ですよね。ちなみに、新横浜駅から近いという場所柄でしょう、「横浜線」というのも候補に挙がったそうです。うちのルカは「よほかません」と言うのですが、かわいいので直さずに放ってあります。

l’aéroport


l’autre jour (先日)、担当しているクラスで、« Qu’est-ce que vous avez fait hier ? » (昨日何をしましたか?) と質問したら、« Je suis allée à l’aéroport de Haneda pour voir des avions.» (羽田空港に飛行機を見に行きました) と言った方がいらっしゃいました。なるほどそれは面白そうだと思い、ルカと2人で過ごす最後の le week-end (週末)、行ってみることにしました。
羽田は横浜から en train (電車で) も en bus (バスで) もたったの30分、旅行の際に何度か行ったことがありましたが、le départ (出発) の時には時間が気になり、l’arrivée (到着) の際は疲れていて、のんびり les avions (飛行機) を眺めるなんて、したことがありません。
le petit-déjeuner (朝食) をとって、le linge (洗濯物) と le ménage (掃除) を軽く済ませてから出掛けましたが、横浜で運良くちょうど le train direct (直通電車) が来たので、11:30 には l’aéroport (空港) に到着。何だかすでにお腹が空き始めたので、les pistes (滑走路) が見えるイタリアンレストランの côté fenêtre (窓際) に特等席をゲットして、des avions (飛行機) を見ながら une pizza (ピザ) を食べることにしました。
la baie vitrée (大きなガラス窓) からは、次々に le décollage (離陸) をする大きな機体が見えて、ルカは口をもぐもぐ動かしながら大興奮。いつの間にか、la pizza aux fruits de mer (シーフード・ピザ) の les crevettes (エビ) は全てルカのお腹に納まっており、母は少々地味な la pizza でお腹を満たしました。
そして食後は、la terrasse (テラス、屋上) へ上ってみることに。le restaurant から見るだけでかなり満足でしたが、外ヘ出ると le bruit (音) も聞こえて、臨場感たっぷりで迫力満点です。 la mer (海) からの風も心地よく、日差しは結構強かったですが、なんとも爽快でした。ちょうど後ろに、「飛行機オタク、初めて彼女を空港に誘うの巻」みたいな un couple (カップル) がいて、彼が一生懸命に語る豆知識が聞こえてきたりして、それもなかなか興味深かったです。夜はデートスポットとしてさぞや人気なのでしょうね。la terrasse は 22:00 まで開いているそうです。
そうして小一時間眺めていると、ルカも「赤いとりさんは JALだね!」「あれは 787、こっちは 789 だよ!」(注:実際にあるのは787だけです) などと少しずつそれらしいコメントも出るようになりました。見慣れない、おそらくローコスト系の les avions や、ボーイングの次世代中型旅客機、787ドリームライナーも生で見ることができて、母も大満足。「ルカも飛行機乗りたい!フランス行きたい!」と言い出す息子可愛さに、思わずどこか日帰りで行ける所に行ってしまおうかとさえ思いましたが、いやいや、落ち着け自分、と理性で押さえて、「今度の夏休みに、飛行機乗ってどこか行こうね」と、なんとかなだめました。
少々飽きてきて「もうおうち帰ろう」と言うルカに、「あともう一台飛ぶの見てからね」と答える母。あれ?いつもと立場逆転?! この飛行機見物、癖になりそうです。

le zoo


cet été (今年の夏) も我が家は mon mari (ダンナ) が長男トマだけを連れて en France (フランスで) les  vacances  d’été (夏休み) を過ごしております。2歳半の次男ルカは母とお留守番。平日は母の帰りが遅く、寂しい思いをさせているので、お休みの日はそれを取り戻すべく、la canicule (猛暑) にもくじけず、張り切って遊びに出掛けております。
 le week-end dernier (先週末) は野毛山動物園に行ってきました。この le zoo (動物園) は横浜からJRなら1駅、le métro (地下鉄) ならば2駅の、桜木町から à pied (歩いて) 行けて、しかもなんと gratuit (無料) の小さな le zoo なのですが、ちゃんと les lions (ライオン) や les tigres (トラ), les zèbres (シマウマ), les girafes (キリン), les crocodiles (ワニ) や les pingouins (ペンギン) なんかもいます。広さも小さな子どもにはちょうどよく、une promenade (散歩) がてら、我が家はよく出掛けます。
しかも、l’été (夏) の間は、le week-end に nocturne (夜間) 営業をしていて、dans la journée (昼間) はごろごろしている les animaux nocturnes (夜行性動物) の元気な姿が見られるという la pub (宣伝) を見たので、夕涼みがてら、虫除けをたっぷりつけて、夕方から行ってみることにしました。
見慣れた le zoo も、いつもとは雰囲気が違い、la lionne  (メスライオン) の le grognement (うなり声) に目を丸くしたり、すでに小屋に入って餌を食べている les girafes の様子を間近で見たりと、ルカも大満足の様子。そして「ふれあい広場」という、les poussins (ヒヨコ) や les cochons d’Inde (モルモット;直訳するとインドのブタ。日本語でも確かにテンジクネズミとも言いますが、フランス人にはブタに見えるのでしょうか?!) les souris (ハツカネズミ) に触れることのできる la place (広場) では、「なでなでする!」と母が抱っこする小動物達の頭を撫でてやっておりました。ふと、ルカの視線が何かに釘付けになっていると思ったら、係の女性が le bras (腕) に un serpent (ヘビ) をまきつけているではありませんか。何を隠そう、les serpents  は大の苦手なので、一刻も早く立ち去りたかったのですが、ルカは興味津々で動こうとしません。そしてやはり「なでなでする!」と、すっかり腰が引けている母にはお構い無しで、1人でテケテケと近寄り、無事に le serpent にも触ってくることができました。
さて、桜木町から歩けると言っても、15分程かかり、しかも結構急な la pente (坂) の上にあるので、帰りはバスで横浜駅まで行くことにしました。 le zoo を出てすぐの所に un arrêt de bus (バス停) があり、そこから10〜15分程の道のりでしたが、le bus (バス) に乗ることは滅多にないので、ルカはうれしそうにきょろきょろ外を眺めておりました。横浜駅で le dîner (夕食) を済ませ、家に辿り着き、まだ大興奮のルカに「今日は楽しかったね!」と言うと、「うん!バスに乗った!」という返事が返ってきました・・・。ce  week-end (今週末) は、市営バスで横浜巡りでもしましょうか。

les Jeux olympiques

tous les quatre ans (4年に1度) の les Jeux olympiques (オリンピック) がついに終わりました。 banal (月並みな) 表現ですが、毎回たくさんの感動をもらいます。 
今大会では les médailles d’or (金メダル) が7、les médailles d’argent (銀メダル) が14、les médailles de bronze (銅メダル) が17、au total (全部で) 38個という、大活躍を見せてくれた日本勢。色々な問題が山積のこの国ですが、みんなが「がんばれ!ニッポン!」と1つになって応援する姿は、大変平和で美しいと素直に感じました。そして、国民の期待を背負って、その la pression (プレッシャー) に負けることなく結果を出せる les athlètes (選手達) の精神力にも感服します。 

今回注目を集めた un athlète の1人が lancer du javelot (やり投げ) のディーン元気選手。我が家の息子達も、将来もしも優秀なスポーツ選手になったら、どっちの国の代表で出たらいいだろうかと、妄想の世界で悩んでいる相変わらずの親バカ母です。ディーン元気選手は、残念ながら les médailles には届きませんでしたが、son père (父親) の母国で開催される大会に、sa mère (母親) の国の代表として出場し、しかも始めての出場で決勝にまで残るなんて、それだけで大変に名誉なことです。まだまだ次、そのまた次の大会にも期待できる年齢ですから、これからの活躍が楽しみですね。

 « L’important, c’est de participer. » (参加することに意義がある) 
 これは les Jeux olympiques modernes (近代オリンピック) の創立者、baron de Coubertin (クーベルタン男爵) の言葉として大変 célèbre (有名) な名言ですが、全文は以下の通りとされています。 
« Le plus important aux Jeux olympiques n'est pas de gagner mais de participer, car l'important dans la vie ce n'est point le triomphe mais le combat ; l'essentiel, ce n'est pas d'avoir vaincu mais de s'être bien battu. » (オリンピックにおいて最も重要なのは勝つことではなく、参加することである。なぜなら、人生において重要なのことは勝利することではなく、闘うことである。大切なのは、征服したか否かではなく、よく闘ったか否かである。) 
これはやはり Londres (ロンドン) で開催された、1908年の les Jeux olympiques の際に生まれた言葉だそうです。当時、les États-Unis (アメリカ) と l’Angleterre (イギリス) は対立しており、両国の les athlètes も感情がもつれ、いがみ合っていました。それを受けて l'évêque de Pennsylvanie, Talbot (ペンシルバニア司教、タルボット) が、les athlètes を招いて行われた la messe (ミサ) で説教をし、その言葉に baron de Coubertin が感銘を受け、quelques jours plus tard (数日後)、son discours (彼の演説) に引用したものとのこと。勉強不足で準備ができていない l’examen (試験) を受ける時などに、言い訳のように使ってしまうことのあるこの言葉ですが、私もすっかり意味を取り違えておりました。政治の世界にも、「国会に参加することに意義がある」と勘違いしている方々も多いのではないかと思う今日この頃。à l’élection (選挙) での闘いぶりはお見事という方は大勢いらっしゃいますが・・・。 

それはさておき、les Jeux olympiques においてフランス語は第一公用語とされていますが、これは baron de Coubertin の la langue maternelle (母語) だからです。テレビを見ていて、聞き取れる言葉があるとうれしいものですよね。すっかり寝不足続きで、ようやくゆっくり眠れる、という方も多いでしょうか。 le décalage horaire (時差) 無しで楽しめる、東京大会が見たいような・・?でも、多額の費用を考えても、もっと他にやるべきことがあるような気がします。それにしても、もしも実現するならば、節電、熱中症の予防のためにも、真夏は避けて、いっそのこと初の les Jeux olympiques d’automne (秋季オリンピック) なんてどうでしょうか、石原さん。

Yukki YOYO

エフィを開く前、日仏学院で講師をしている頃、担当していたクラスに Yukki という un lycéen (高校生) が入ってきました。 le yo-yo (ヨーヨー) をやっていて、le lycée (高校) を卒業したら、フランスの l’école de cirque (サーカス学校) に行きたいとのこと。

日本ではすでに le champion (チャンピオン) で、les États-Unis (アメリカ) で行われた le yo-yo の le championnat (選手権) では準優勝したのだと、少しはにかみながら、でもキラキラした目で話してくれました。当時の私は l’école de cirque の存在も、le yo-yo に le championnat mondial (世界選手権) があることももちろん知らず、驚くと同時に、この少年の le rêve (夢) を叶える手助けをしたいと心から思いました。 

元々、大道芸の類いを見るのは好きでしたし、フランスの l’université (大学)では option libre (自由選択科目) として le jonglage (ジャグリング;お手玉のようなもの) の授業を受け、結構まじめに練習して実技試験をクリアし、無事に U.V. (単位;unité de valeur の略) を取ったこともあったので、横浜の下町、野毛で毎年行われる「野毛大道芸」に彼が出演すると聞いて、見に行ったりもしました。まだ lycéen とは思えない、大勢のお客さんの前で堂々とパフォーマンスを行うその姿に、大変感激したものです。 

そして、確か un an plus tard (1年後)、彼は晴れて l’école de cirque に合格し、フランスに旅立ちました。 le métro (地下鉄) の駅などで見かけたことがある方も多いかと思いますが、フランスでは大道芸がかなり盛んで、ちょっとした街角や la gare (駅) などに des artistes de la rue (大道芸人) がごろごろいます。l’université の le jonglage のクラスにも、学費は le week-end に道端で稼いでいるという、もしかしたら le professeur (先生) よりも上手なのではないかという「本物」もいました。そんなレベルの高い国で、言葉や文化の壁を乗り越えながら、芸を磨き、彼は成長を続け、l’école de cirque 卒業後はフランスを始めヨーロッパの国々の le cirque (サーカス) や le cabaret (キャバレー) などの舞台で artiste (アーティスト) として活躍するまでになっていました。 

一方、こちらは子どもが生まれ、教室を開き、一時帰国の際の le spectacle (ショー) にもなかなか行けなくなり、しばらくご無沙汰してしまっておりました。ふと、cet été (今年の夏) は帰ってくるのかな、などと思い出していたところに、「仕事で滞在していたドイツで急逝した」との知らせが舞い込んできました。

詳しい事情も分からぬまま、一昨々日の晩、横浜で「偲ぶ会」が催されると聞いて駆けつけた先は、大道芸の街、野毛の小さな une salle de spectacle (劇場)。le yo-yo などの大道芸の仲間達が集まり、思い出などを語ってからそれぞれの le spectacle を披露し、拍手と笑いと涙とが入り交じる、彼とのお別れにふさわしい宴でした。 

ウクレレの弾き語りをした方が、「夢があれば大丈夫」と歌っていました。1年前に結婚したという、着物姿の sa femme (彼の奥さん) の帯には「夢」と書いてありました。「夢 ; le rêve」って、なんだろう?改めて考えました。叶えるためにたくさん努力して、叶ったらそれは「現実 ; la réalité」になる。それはもちろん幸せなことでしょう。でも、もしかしたら、le rêve を見つけて、それを追いかけて夢中でかんばる、その le processus (過程、プロセス) こそが le rêve であり、le bonheur (幸福) なのかもしれません。

 27年という、あまりに短く儚いものだったけれど、夢中になれるものを見つけ、それを追いかけて、まさに「夢の中」を生き続けた彼の人生は、幸せなものであったことを心から願い、le rêve のお裾分けを頂いたことに感謝しつつ、Yukki-YOYO のご冥福を祈ります。

le maillot de bain

毎日蒸し暑いですね。la saison des pluies (梅雨) とは思えない本格的な暑さが続き、すでにげんなりしておりますが、朝起きて、お天気が良いと mes enfants (子ども達) は大喜びです。その理由はズバリ la piscine (プール)。 
la crèche (保育園) には幼児用の比較的大きな la piscine と、乳児用の les carpes (鯉) の養殖にでも使いそうな「たらい」に近い la piscine があり、fin juin (6月末) から mi-septembre (9月半ば) まで、雨の日以外はほぼ毎日 la piscine があります。体力がつくし、あせも予防にもなるので親としては大変ありがたいのですが、ただでさえ le linge (洗濯物) が増える時期に、le maillot de bain (水着)、le bonnet de bain (水泳帽) と la serviette de bain (バスタオル) が毎日それぞれ2人分追加されるのは結構大変です。
夜、家に着いてすぐに洗っても、次の日の朝にはまだ生乾きなので、la serviette はもちろん、le maillot de bain も2枚必要です。l’année dernière (去年) は次男のルカがまだ1歳児の赤ちゃんクラスだったので、la couche (オムツ) だけで入っていたのですが、今年から le maillot de bain デビューすることになり、トマも l'année dernière の le maillot de bain はきつくなったので、先日新しいものを買いに出掛けました。
ほとんどの物がトマのお下がりで、新しい物を買ってもらうことが滅多にないルカは大喜び。大好きな Cars のキャラクターの McQueen が付いた le maillot を手にすると、トマの真似をして la cabine d’essayage (試着室) にいそいそと入っていきました。
「ちょっと、そこ、しめて」と扉を閉めるので、下の隙間から覗いてみると、どかっと座り、le pantalon (ズボン) を履いたまま、その上からよいしょと le maillot de bain を引っ張って履いています。終わったら「どう?みて〜」と得意気に出て来ました。怪しい姿に、笑いをこらえながら「お店の人に『下さいな』してからね」と、なだめすかして脱がせると、 la caisse (レジ) まで自分で持って行き、背伸びしながら「くだしゃいな!」と大声で言って、レジのお姉さんの微笑みをかっておりました。
その晩は、お風呂の後 le pyjama (パジャマ) ではなく、「これはくの!」と、la couche の上から le maillot de bain を履いて眠り、翌日も le pantalon の代わりに le maillot de bain を履いて出掛けました。よっぽど嬉しかったのでしょうね。この時期、街で le maillot de bain を履いた小さな男の子を見かけたら、それは我が家の次男かもしれません。

Minitel


Minitel (ミニテル) が、先月、le 30 juin にそのサービスを終了しました。1980、90年代にフランスに滞在したことのある人なら、« Minitel » と聞くと la nostalgie (懐かしさ) を感じるのではないでしょうか。「まだ使ってたの?」とびっくりされる方もいらっしゃるかと思います。Minitel とは、1970年代に France Télécom (フランス・テレコム;フランスの電話会社) が開発した、電話回線を使って専用端末に des informations (情報) を提供するサービスで、言わば l’internet (インターネット) の草分け的な存在。
le numéro de téléphone (電話番号) の検索、le T.G.V. を始めとする les trains (電車) や l’avion (飛行機) の la réservation (予約) などのサービスの他、la météo (天気予報) や les informations (ニュース)を閲覧できたり、オンラインバンキングやチャットもできる、当時としては世界的にも画期的な通信サービスでした。 専用端末は小さな un écran (画面) に le clavier (キーボード) が付いていて、en noir et blanc (モノクロ) ですが簡単な画像も表示できたのです。しかも、この端末は、昔の黒電話のように、France-Télécom から gratuit (無料) で支給され、壊れたり古くなったりしたら、また新しい物と取り替えてもらえるものでした。
最盛期の1999年には、なんと 26,000 種類ものサービスが存在し、フランスの人口の42%にあたる2500万人がこの Minitel を利用していたというデータがあります。 France Télécom にとっては大成功を納めた事業であり、1990年代後半に Minitel がもたらした売り上げは、毎年約10億ユーロ (約1000億円) とも言われています。
1990年代後半と言えば、Internet が出回り始めた頃。そんな時にこの Minitel はこんなに利益を上げていた訳ですから、他の先進諸国に比べ、フランスでの Internet 普及率はなかなか上がりませんでした。l’ordinateur (パソコン) に比べ、操作も簡単で、端末も solide (丈夫) でしかも gratuit 、その上 ADSL や le fibre optique (光ファイバー) などの高速ネット回線が使えない la zone rurale (農村地帯) でも都市部と同様なサービスが受けられたのですから、この Minitel が根強く支持されていたのもうなずけます。
私が学生時代に下宿していた家にも、もちろん le téléphone (電話) の横に Minitel が鎮座していて、la famille d’accueil (ホストファミリー) 達は日常的によく使っていました。びっくりしたのは、知り合いに un sourd-muet (聾唖) の方がいて、時々やってきて、この家の Minitel を使って彼の la famille (家族) や ses amis (友達) とコミュニケーションをとっていたこと。言ってみれば、画面の大きな un téléphone portable (携帯電話) でメールをするようなものなので、彼にとってはとても pratique (便利) な機械だったのです。ものすごい勢いで le clavier を叩いていたのが非常に impressionnant (印象的) でした。きっと今では l’ordinateur (パソコン) や le téléphone portable のメールを使っているのでしょうね。
révolutionnaire (斬新) と言われたものも、いつかは ordinaire (普通) になり、そして vieux (古く), démodé (時代遅れ) となってしまう。それが世の流れだと思いますし、いろいろな物が開発されるおかげで、便利で豊かな社会になっています。それは充分よく分かっているつもりですが、なんだか、1つの時代が終わったようで、一抹の寂しさも感じたこの Minitel のニュースです。ちょうど、エフィで私の le bras droit (右腕) としてがんばってくれていた Sayuri さんも le 30 juin をもって退職しました。こちらも非常に寂しいニュースですが、この場を借りて、la reconnaissance (感謝の気持ち) を伝えると共に、今後の le bonheur (幸せ) を祈りたいと思います。 Merci et soyez heureuse !!  

l’hélicoptère



少々ネタが古くなってしまいましたが、先日、ついに元オウム真理教信者の高橋容疑者が逮捕されました。彼の実家が私達が住んでいる横浜市港北区にあるとかで、 l’arrestation (逮捕) の数日前の vendredi (金曜日)、うちの方でも la police (警察) の un hélicoptère (ヘリコプター) がぐるぐる回っており、子ども達の la crèche (保育園) でも大騒ぎだったようで、 le lendemain matin (翌日の朝)、トマがこう話してくれました。
« Hier, l’hélicoptère de la police est arrivé à la crèche ! Ils sont venus cherchent monsieur Takahashi. Ils le cherchent depuis longtemps. A la crèche, tout le monde courrait en disant ; Ce n’est pas moi ! »「昨日保育園に警察のヘリコプターが来たんだよ!高橋さんていう人を探しに来たの。もうずいぶん前から探してるんだって。保育園じゃ、みんな「オレじゃない〜」って、走って逃げてたんだよ!」  
社会を震撼させた un attentat (テロ事件) の un criminel dangereux (凶悪犯) も、保育園児に語らせると、何だか大人の cache-cache (かくれんぼ) のようです。しかも、トマのクラスの les camarades (同級生) に高橋さんと高橋くんが1人ずついるので、余計に大騒ぎだった様子。
それにしても、どんな un criminel dangereux にも、我が家の子ども達のような、あどけなく純粋な une enfance (子供時代) があったはず。一体何がきっかけで、道を踏み違えるのか、未だ若葉マークの取れない母としては、戸惑うばかりです。もちろん、全てが les parents (親) の la responsabilité (責任) ではなく、置かれた l’environnement (環境)、成長過程で出会う人々など、色んな l’influence (影響) があるでしょう。社会が成熟するに伴い、そこに暮らす人々の生活も複雑になり、des crimes (犯罪) も複雑化する傾向にあります。富山の à la campagne (田舎) でのんびりした une enfance を送った身としては、横浜のような une grande ville (大都市) で子ども達を育てることに不安も感じることも。相変わらず仕事中心の生活で、「育てている」というより、「育ってくれている」という方が近い毎日。これからどんな風に成長するのか、楽しみの方がもちろん大きいですが、親としての責務の大きさも改めて感じさせられております。

la tortue


5歳の長男トマが l’été dernier (去年の夏) からずっと欲しがっていた物、それは une épuisette (魚をすくうたも網) です。夏休みにフランスに行った際、papi (おじいちゃん) と mamie (おばあちゃん) に連れて行ってもらった à la plage (海岸) で des poissons (魚) や des coquillages (貝) を獲って遊んだのがとても楽しかったとのこと。すぐに忘れるかと思っていたのですが、かなりの頻度でねだるので、ついに根負けして先日ホームセンターに行った際に買ってしまいました。かくして、我が家の休日の des activités (アクティビティ) に、公園での魚獲りが加わりました。
近所の le parc (公園) には結構大きな un étang (池) があり、des carpes (コイ) や des canards (カモ)、des tortues (カメ) などが泳いでいるのですが、よ〜く覗いてみると、小さな小さなメダカのような des poissons もたくさんいます。l’étang の中程に、ちょっとした浮き橋があるので、そこからそ〜と l’épuisette を入れてサッと掬うのですが、次男ルカ (2歳) が自分の背丈より長い l’épuisette を水に突っ刺してグイグイと le fond (底) を引っ掻き回すので、あっという間に les petits poissons の影も形もなくなってしまい、今度は少し離れた所を狙う、またルカが寄ってきて引っ掻き回す、また離れる、の繰り返しになるのですが、意外に楽しくてついつい親の方が本気で遊んでしまいます。
そして先日 mon mari が なんと un bébé tortue (カメの赤ちゃん) をうっかり捕まえてしまいました。お祭りで売っている、顔の横にオレンジの模様があるいわゆるミドリガメです。誰かが捨てたものか、ずいぶん前に捨てられた les tortues の2世もしくは3世かは謎ですが、トマとルカはもちろん大喜び。2人の子ども達の世話だけで手一杯な母は、これ以上 une bouche (口) の付いた物を家に増やされてはたまらないので、捕まえた魚をそうしているように、帰りには l’étang に放すよう言ったのですが、 用があって先に帰ったところ、トマと mon mari がバツが悪そうに en plastique (プラスチックの) 虫かごを抱えて戻ってきました。覗いてみると先ほどの la petite tortue が元気にゴソゴソしています。
でも、実は私も lycéenne (高校生) の時にお祭りで買った 3,5 cm ほどの une petite tortue を 30 cm にまで大きく育てたというカメ好き。ちなみにそのカメはかれこれ 20年近く前に渡仏した際に chez mes parents (実家) に預け、未だに富山で元気に暮らしています。何と言ってもカメは万年ですからね・・・。そんな訳でダメとは言えず、トマが la tortue のパパになって、餌をやったり l’aquarium (水槽) を洗うなどのお世話をするという約束で、我が家の新しい家族にすることになりました。トマパパが付けた名前は「ケンタ」。子ども達は朝起きると「ケンタおはよう!」と声を掛け、ルカも「ケンタ、ご飯でしゅよ〜」と小さな手に餌をしっかり握りしめて一粒一粒大事そうにやっており、なんだか微笑ましい光景です。小さな l’aquarium の中をばたばた泳いだり、石をよじ登ったりする姿は愛嬌があり、私にとってもちょっとした癒しになっています。
ちなみにカメは « une tortue » と女性名詞です。フランス語では、例えば犬の場合、オスは un chien, メスは une chienne, 子犬は雄雌の区別なく un chiot、ネコは un chat, une chatte, 子猫 un chaton、牛に至っては、去勢された雄牛は un bœuf、付いてるのは un taureau、雌牛は une vache、子牛は un veau と、日本人から見たら何とも maniaque (マニアック) なネーミングになっています。でもカメは、オスだろうがメスだろうがチビだろうが年寄りだろうが une tortue。そんな、いたってシンプルなところも、私が la tortue に惹かれる une raison (理由) かもしれません。

Fleur Pellerin


さて、lundi matin (月曜の朝) は l’éclipse (日食)で日本全国大騒ぎだった訳ですが、フランスでは «le pays du matin calme»(静かな朝の国) というと la Corée (韓国) のことを表します。「朝鮮」を19世紀の宣教師達がそのように名づけたようですが、どちらかと言うと「鮮」を表す形容詞は frais ですね。ちなみに日本のことは le pays du soleil levant (日の出ずる国) と言い、言葉の繰り返しを避けるため、ニュースなどでは la Corée, le Japonと国名を使う替わりによく使用されます。

さて、その le pays du matin calme が今フランスで大きな注目を集めています。先日の la présidentielle (大統領選挙) で le nouveau Président (新大統領) に選ばれた François Hollande 氏と、le Premier ministre (首相) に任命された Jean-Marc Ayrault 氏の元で、16日に新内閣が発足しましたが、「女性を半数に」という la promesse électorale (公約) 通り、閣僚34名のちょうど la moitié (半分) 、17名の les femmes ministres (女性大臣) が誕生しました。

その中でも特に話題を呼んでいるのが、ministre déléguée chargée des PME et de l'économie numérique (生産再建大臣付中小企業・イノベーション・デジタル経済担当大臣) に就任した Fleur Pellerin 氏。彼女は1973年、le pays du Matin calme, Séoul に生まれ、生後6ヶ月で路上に abandonnée (捨てられて) いたのを un orphelinat (孤児院) に引き取られ、その後すぐにフランス人夫婦の養子になったとのこと。

かなり優秀だったようで、le baccalauréat (バカロレア ; 大学入学資格試験) を普通の人より2年も早く取り、その後はESSEC(エセック経済商科大学院大学)、Sciences-Po(パリ政治学院)、ENA(国立行政学院)という、フランスの haut fonctionnaire (高級官僚), homme/femme politique (政治家) における典型的なエリートコースを歩んでいる彼女ですが、雑誌 le Point の中の記事に彼女のこんなコメントを見つけました。 "Être adoptée a été à la fois un handicap et l'un des moteurs de ma réussite" (養子だということは、障害でもあり、また私の成功の原動力の1つでもありました)。 

道端で息絶えていたかもしれない1人の赤ちゃんが、異国で大切に育てられ、その国を動かす仕事にまで辿り着いたなんて、現代の un conte de fée (おとぎ話) のようです。 フランスでは l’adoption (養子縁組) は決して稀ではなく、白人の夫婦が  la peau (肌) や les yeux (目) の色の違う子ども達をきょうだいとして育てている、ということも自然に行われています。 自分とは la race (人種), la religion (宗教), la culture (文化) の異なる人を、どんな風に見て、どんな風に接するか。それが人や la société (社会) の la tolérance (寛容さ) の指標とも言えると思います。フランスはハンガリー移民の息子 (=Nicolas Sarkozy) を le Président に選んだことのある国でもありますし、今回の le gouvernement (政府) は特に la diversité (多様性) に力を入れた人選になっている様子で、日本では考えられないほど国際的で寛容な国です。

しかし、生後6ヶ月で海を渡ってからは一度も la Corée (韓国) には行っておらず、le coréen (韓国語) も話さない、自身は la Corée とのつながりを意識したことはなく、une Française だと思っている、という彼女の入閣を、何よりも « la première ministre française d'origine sud-coréenne » (初の韓国系大臣) だとか、« un modèle d'intégration » (同化のモデル) などとして取り上げられること自体が、実は根深い la discrimination (差別) のような気がするのは私だけではないと思います。彼女自身も、キャリアや能力をまず評価して欲しいと願っているはずでしょうし、d'origine asiatique (アジア系) だから入閣できた、などという誹謗中傷に悔しい思いをしているかもしれません。

私の好きな歌、 The Blue Hearts の「青空」に「生まれた所や 皮膚や目の色で いったいこの僕の 何が分かるというのだろう」というフレーズがあります。le handicap をバネに、努力して着々と成功の階段を上っている彼女に、まずは心からはエールを送りたいと思います。そして、我が息子達が生きていくこれからの社会が、国境や人種、言葉の壁を越えて人々が協力し合い、共存する平和な世界になって欲しいと、1人の母親として心から願います。

l’éclipse annulaire


昨日は l’éclipse annulaire (金環日食) の話題で toute la journée (一日中) 盛り上がっていましたが、皆さんはご覧になれましたか?我が家でも専用の les lunettes (めがね) を用意し、早朝だということで le petit-déjeuner (朝食) を近所の le parc (公園) で食べながら見ようと張り切っていたのですが、残念ながら空には les nuages épais (厚い雲) が広がり、しかもパラパラと la pluie (雨) まで降ってきました。
楽しみにしていた長男トマは les lunettes en carton (ボール紙でできたメガネ) をかけて窓の外を眺め、« Je ne vois rien du tout ! »(何にも見えないよう!) とがっかりしておりました。家で le petit-déjeuner を食べているうちに外は明るくなってきましたが、l’éclipse が終わったからなのか、日が高くなったからなのか、雨が上がったからなのか分からず、何だかすっきりしない朝でした。
さて、せっかく買ったこの lunettes、結局無駄になってしまってもったいないと思っていたら、6月6日には Vénus (金星) が le Soleil (太陽) の前を横切る le transit de Vénus (金星の太陽面通過)というのがあるそうで、捨てずに取っておけとのこと。お天道様にホクロがついたように見えるそうですが、何だか、見たいような、どうでもいいような・・・。 でも、メガネがもったいないという理由だけで、一度は le ciel (空) を眺めてしまうのでしょうね、きっと。
それにしても、この日食メガネを始め、関連グッズの売り上げや、観察ツアー、le planétarium (プラネタリウム) 入場料など、この l’éclipse annulaire がもたらした経済効果は試算総額約164億円という話も。しかもたった5分でのことですから、それこそ les chiffres astronomiques (天文学的な数字) ですね。 la crise économique (不景気) から抜け出せないと言われ続けていますが、そんな日本人にも、こんな無駄使いができる余裕があるということを証明した出来事だったような気もします。このお金を復興支援や代替エネルギー開発に使えば・・・なんて思ってしまいますが、それも後の祭り。野暮なことを言うのはやめて、来月6日は晴れることを祈りましょう。

le tour de reins


ゴールデンウィークが終わって、連休ボケをしているうちに、また新しい一週間が始まってしまいましたが、まだまだボケボケしております。
le mois dernier (先月) はやけに慌ただしく、GWには遠出をせずに溜まりたまった les travaux ménagers (家事) と心身の la fatigue (疲れ) を退治してしまおうと思っていたのに、やはり後半無理なスケジュールで動いていたら、lundi matin (月曜日の朝)、なんと le tour de reins (ぎっくり腰) をやってしまいました。お布団をあげていた拍子にギクっとなったのですが、lourd (重い) 敷き布団ならともかく、léger (軽い) 掛け布団を畳みながらのことで、 おかげでそのまま敷き布団に横になれましたが、なんとも情けない話です。

heureusement (幸い) にして比較的軽かったので、数回 l’acuponcture (鍼治療;エフィが入っているビルの2階にあるヨコハマ鍼療院、私の駆け込み寺です) にお世話になってなんとか普通の生活をしておりますが、思えば、長年の運動不足で les muscles (筋肉) が弱り切っているところに、急に le vélo (自転車) 通勤なんて始めてしまい、体がついて行っていなかったということも la cause (原因) でしょう。自分の体の管理はちゃんとしなくてはならないと反省している次第です。

さて、「腰」はフランス語で les reins です。単数の le rein は腎臓、それを複数形にすると腰になるのです。我々日本人とは人体の捉え方が根本的に違う感じがして興味深いですね。「腰が痛い」は « avoir mal aux reins »,「ぎっくり腰」は前述のように「回転、ねじること」を表す « tour » を使って « tour de reins » と言います。そして « avoir les reins solides » は「丈夫な腰を持っている」という文字通りの意味の他に「頑張りがきく、苦境に耐える資力がある」という意味もあります。日本語にも「腰が強い」という表現がありますが、こちらはどちらかと言うとうどんの褒め言葉のイメージですね。

私はというと、la fatigue が溜まると les reins に出てしまうことが多く、文字通り「腰が弱い」のですが、この le tour de reins が完治したら、この重い腰を上げてもっと積極的に le sport に取り組んで、les reins solides になるよう、がんばろうと思います。

à vélo


le pollen (花粉) の季節も終わり、春の空気があんまり気持ちがいいので、なんと、先週から自転車通勤をしています。エフィと la maison (家) と la crèche (保育園) の間を走り回っている毎日ですが、le sport (スポーツ) をする時間はなかなか取れず、肩こりや冷えなどの慢性的な体調不良に悩まされていました。自宅からエフィまでは20分足らず。le sport と le transport (交通機関) を兼ねて、交通費の節約、気分転換にもなり、一日の終わりの la bière (ビール) も益々おいしく、爽快な毎日です。
さて、新たに私の足となった mon vélo (私の自転車) ですが、10年以上前に mon mari (ダンナ) が le cadeau d’anniversaire (誕生日プレゼント) として贈ってくれたものです。実は、数年前にパンクしたことをきっかけに乗らなくなり、だんだん la selle (サドル) も les pneus (タイヤ) もぼろぼろになっていき、la chaîne (チェーン) も rouillée (さびついて)、粗大ゴミ以外の何物でもない様子になっていました。
でも、本当はとても気に入っていて、当時は通勤やちょっとした遠出にも使っていた愛着のある1台。先月東急ハンズに行ったついでに自転車コーナーに行って、la réparation (修理) が可能なものかどうか、試しに聞いてみました。すると、修理代はだいたいの目安で、放置年数x1万円とのこと。5年放って置いたので5万円、この辺のが買えてしまうのかと、陳列してある カッコイイ les vélos につい目が行ってしまう私。でも、基本的には修理は可能ということで、家に帰って mon mari に相談したら、« Balance-le. Tu reprendras un nouveau bien joli. » (捨てちゃいな。カッコイイ新しいのを買えば。) とあっさり。
とは言いつつも、どうやら彼の un bricoleur (大工仕事が好きな人、工作・修繕が好きな人) 魂に火がついたらしく、しばらく経ったよく晴れた休日、朝から mon vélo をいじり始め、ホームセンターやらハンズやら自転車屋さんやらをあちこちと回り、une selle,  des pneus,  une chambre air (チューブ) を取り替えて、la chaîne には de l’huile (オイル) を垂らしながら根気よくほぐして、ついにまた乗れるようにしてくれました。
 特に l’électroménager (家電) などは、ちょっと壊れると修理する方が高く付き、お店でも「買った方が安いですよ」なんて言われてしまう、なんでも使い捨てのこのご時世。でも最近は「エコ家電」に買い替えた方が環境にいいのだとかなんとか言われて、何がいいのか正直言ってわからなくなることも。でも、子ども達には「もったいない」という大切な感覚が身につくよう日頃から気をつけるようにしています。今回は、最近工作が大好きな長男トマ(5歳) が興味津々で papa の横に張り付き、la réparation (修理) の一部始終を見ていました。どんな言葉で説明するより、彼の心に響く何かがあったような気がします。

les cerisiers en fleurs


先日、子ども達を la crèche (保育園) に迎えに行ったら、園庭からうぐいすの鳴き声が聞こえてきました。春真っ盛りですね。
この時期、授業で « Qu’est-ce que vous avez fait ce week-end ?» (週末何をしましたか?) という la question (質問) をすると、必ず出て来るのが « J’ai fait お花見... comment dit-on 花見 en français? » (私は『お花見』をしました。『お花見』はフランス語でどう言うのですか?) という la réponse (返事) です。もちろん、フランスには『お花見』という la coutume (風習) はないので、そのものズバリを表す単語はありません。
でも、日本では高級果物の des cerises (さくらんぼ) も、フランスでは le jardin (庭) にたわわに実る、日本の柿のような存在。つまり des cerisiers (桜/桜桃の木) は結構たくさんあります。我々日本人が愛でるソメイヨシノとは種類が違うので、花の様子は少々違いますが、la saison de la floraison (開花の季節) にはパッと le jardin が白くなり、なかなか美しいものです。そんな訳で『お花見』を訳すとすると、« voir les cerisiers en fleurs » (花が咲いている桜の木を見る)となり、例えば「公園でお花見をしました」は «Je suis allé(e) au parc pour voir les cerisiers en fleurs.» となります。

フランスに住んでいた頃、ちょうど les cerisiers の季節に Paris に行く機会があり、le jardin des plantes (植物園) で満開の les cerisiers en fleurs を見ることができ、un sandwich (サンドイッチ) を頬張りながら、しばし la nostalgie (ノスタルジー) に浸ったのをよく覚えております。フランスでの留学を終えた後、北アフリカの la Tunisie (テュニジア) にしばらく住んでいたのですが、les cerisiers はもちろんなく、よく似た les amandiers (アーモンドの木) の les fleurs を見て日本を懐かしく想い出しておりました。でも、やはり日本で見るles cerisiers en fleurs が一番ですね。

amandier en fleurs
昨年はフランスで避難生活をしていたため見逃してしまった les cerisiers en fleurs, 今年は次男のルカ (2歳) がちょうどタイミング悪く les oreillons (おたふく風邪) に罹ってしまい、やはり横目で見るだけで終わってしまいました。今日ようやく登園許可書をもらえたのですが、chez le pédiatre (小児科) から帰ってくる道すがら、つい先日まで満開の桜が見事だった近所の le parc (公園) が des pétales (花びら) で真っ白になっているのを « la neige (雪) ? » と不思議そうに眺めておりました。来年こそは家族揃って元気にお花見をしたいものです。 

le poisson d’avril


le premier avril (4月1日) 、NHKが「全ての民放が合併して国営放送になる」という une blague (冗談) を twitter で発表して大ひんしゅくを買い、すぐに書き込みを削除したという騒ぎがあったそうですが、フランスでもこの日は au foyer (家庭) や au travail (職場), entre amis (友人同士) はもちろん、à la télé (テレビ) や à la radio (ラジオ) でも、もっともらしい un mensonge (うそ) が流れて、国中大騒ぎになったりします。

今年は5年に一度の la présidentielle (大統領選挙) が au mois-ci (今月) 行われるということもあり、« Pour voter, il va falloir payer. » (投票をするためには、お金を払わなければならなくなる) という une nouvelle (ニュース) がネットで流れ、« lire la suite de l’article »(記事の続きを読む) をクリックすると、un poisson (魚) の la photo (写真) が出てくる、という仕掛けになっていました。

さて、なぜ le poisson なのでしょう?フランスでは、le 1er avril には、les enfants (子ども達) が le dos (背中) に de faux poissons (うその魚, 通常は en papier ; 紙の) をこっそり貼り、貼られた人が気がつくと、« Poisson d’avril ! » と言う la coutume (習慣) があります。

この、なんてことのない une farce (いたずら) が les enfants は大好きで、今年はちょうど dimanche (日曜) だったので、我が家でもトマが papa と一緒に de petits poissons を大量に作り、la cuisine (台所) で le dîner (夕飯) の支度をする母の le dos にぺたぺたと貼りにきました。まだ5歳のやることですから、discrètement (こっそりと) という訳にいかず、こちらは気がつかない振りをして、ほどほどのタイミングでびっくりする、という気遣いが必要です。でも、何度もやっているうちに要領を得たようで、いつの間にか papa の le dos にも可愛い des poissons が数匹ぶら下がっていました。

des mensonges だと思いたくなるような des informations (ニュース) が連日のように流れており、どこからか誰かが « Poisson d’avril ! » と言ってくれるのを期待してしまいます。フランスも日本も、そして世界中の国々が、より良い平和な社会になるといいですね。

l'allergie


まだまだ朝晩冷え込むことはありますが、かなり le printemps (春) らしくなってきましたね。le froid (寒さ) が苦手な私にはうれしいことですが、le printemps と言えば la pollen (花粉)、この la saison (季節) が苦手という方も多いのではないでしょうか。かく言う私もその1人、実は écolière (小学生;男性形は écolier ) の頃から悩まされています。かかりつけの le docteur (お医者さん) に「大人になったら治るよ」と言われて早数十年。恐らくまだ大人になりきっていないのでしょう。
la France に留学中は全く symptôme (症状) が出ず、帰ってきてからしばらくは軽かったのでこのまま治るかと期待していたのですが、体質は変わらないのか、ここ数年また le nez (鼻) と  les yeux (目;単数は un œil, 複数になると des yeux と形がすっかり変わります) がムズムズするようになってきました。
さて「花粉症」という言葉そのものはフランスにはありませんが、l’allergie aux pollens (花粉アレルギー)、もしくは形容詞を使って « être allergique aux pollens » (花粉アレルギーです) という言い方をします。 le Japon にきて、allergique aux pollens になってしまう des Français (フランス人) も意外と多いようで、エフィにも鼻声を出している先生がいます。少々気の毒ですが、これも « Si tu es à Rome, vis comme les Romains.» (ローマではローマ人のように暮らさねばならない=郷に入りては郷に従え) でしょうか。« Si tu es au Japon, vis comme les Japonais.» ですね。
ところで、我が家でも、2歳の次男のルカが la semaine dernière (先週) あたりから毎朝目やにを出し、鼻水をたらしています。la toux (咳) や de la fièvre (熱) といった風邪の les symptômes はないので、鼻を拭いてやりながら「ルカは花粉症なのかなあ」と独り言のように言うと、「うん、ルカくん、かぷんちょ!」とうれしそうに答えてくれました。もうしばらく辛い季節が続きますが、全国のかぷんちょの皆様、お大事になさって下さい。

la sauterelle


我が家の子ども達は2人とも les livres (本) が大好きです。夜寝る前は、ほぼ tous les jours (毎日) 1人1冊好きな un livre を選んで読んでもらい、« Bonne nuit » (お休みなさい)と言ってお布団に入ります。
le bain(お風呂) や le brossage des dents (歯磨き) などの手際の善し悪しで、寝る前のこの貴重なひと時が長くなったり短くなったりするので、いつもより多めに読んでもらえる時は大喜びですが、ぐずぐずしていて、« Pas de livre ce soir ! »(今夜は本無し!)なんて叱られながら半べそで眠ることも。

les favoris (お気に入り) は様々ですが、2人とも好きな le livre の1つに « imagerie des animaux » という、les animaux (動物;animal = 単数形、animaux = 複数形 ) をかなりリアルな des images (イラスト) と短いテキストで紹介したものがあります。
les lions (ライオン) や les pandas (パンダ)、les ours (クマ) などの les animaux sauvages (野生動物) の他、les dauphins (イルカ) や les pingouins (ペンギン) などの海の仲間、les oiseaux (鳥) や les insectes (昆虫) なども出て来ます。une histoire (お話、物語) ではなく、しかもページ数が多い le livre なので、たいていは適当に選んだ見開き2ページか4ページ、つまり2〜4種類の animaux について読んでやるのですが、意外と知らないことも多く、親も一緒に楽しめます。

そして先日、ここ読んで、とトマが持って来たのは la sauterelle (バッタ) のページ。鮮やかな vert (緑) の la  sauterelle の下にはこう書いてありました。
    
"A la fin de l’été, elle pond, en général dans le sol, puis meurt." (夏の終わり、バッタは土の中に卵を産み、そして死んでしまいます)

それを聞いた途端、みるみるトマの表情が暗くなり、 « Alors, les bébés sauterelles ne voient pas leur maman ? » (じゃあ、バッタの赤ちゃんは お母さんに会えないの?)と今にも泣き出しそうな顔で聞いてきました。とっさのことで、私も何と言っていいのか分からず、「でもトマみたいな優しいお兄ちゃんバッタがたくさんいるから、きっと寂しくないよ。大丈夫」などと取り繕ったのですが、その晩は悲しそうな顔のままお布団に入り、今でも時々思い出したように可哀想な les bébés sauterelles の話をします。

le travail (仕事) との両立に悩み、やれ自分の時間がないだの、やれ親の言うことを聞かないだのグチを言ってしまうこともしばしばですが、自分の子どもを自分で育てることができるというのは、本当はとても幸せなこと。1年前のあの日あの時、お母さんを呼びながら息絶えたかも知れない小さな命、les mamans sauterelles のように可愛い我が子を残して逝ってしまった命を偲び、色々な事情で今も離れて暮らすご家族の心情を思いつつ、今、ここで、大切な la famille (家族) と共に生かされていることに心から感謝したいと思います。

l’impression



 お食事中の方には失礼致します。2歳の次男ルカはまだ des couches culottes (パンツタイプの紙オムツ) をしているのですが、popo (ウンチ) が出た時には「popo 出たよ」と教えてくれますし、pipi (おしっこ) でいっぱいになった時には「パンツぱんぱ〜ん」と自分の la couche culotte を叩いたりします。でも、いつもとは限らず、出掛けた時など、ずぼらな les parents (両親) がうっかりしている間に大変なことになっていたりもします。


そして hier matin (昨日の朝) のこと、le petit-déjeuner (朝ごはん) を la cuisine (台所) から la table (テーブル) に運んでいると、ルカの背後からむ〜んとお馴染みの l’odeur (匂い) が漂ってきました。「ルカくん popo 出た?」と聞くと、「出てない」とすっとぼけるので、「ちょっと見せて」と開けてみるとやはりしっかり出ています。「じゃあ、このパンツの中の茶色くて臭いものは何ですか?」と聞くと、「気のせいで〜す。」 一体、どこで誰の言葉を聞いてこんなことを覚えたのかは謎ですが、 ずいぶん立派な「気のせい」が出てすっきりした様子でした。


 ちなみに「気のせい」をフランス語にすると、« Ce n’est qu’une impression. » もしくは « Ce n’est qu’une illusion.»  直訳すると、「それはただの印象/錯覚に過ぎません」となります。impression は、日本でも有名な印象派 « impressionnisme » の中に隠れている単語ですね。illusion は日本語でも「イリュージョン」とカタカナで使われたりすることがありますが、幻や錯覚、勘違いのことです。ne 〜 que は「〜しかない、〜に過ぎない」という制限を表し、ne を使いますが否定文ではありません。こちらも2歳余りの子どもの口からは到底出そうもない表現です。 ちょうどルカは何でもイヤイヤのいわゆる「魔の2歳児」。泣き叫んでどうしようもなく、これがただの impression, illusion ならいいのにな・・・と、願うことがしばしばある今日この頃です。

l’herpès




l’herpès:ヘルペス
ようやく la grippe (インフルエンザ) が治ってきて、子ども達のお世話ができるようになった頃、長男トマの唇の両側がやけに荒れているなと思ったら、やはり la crèche (保育園) でも「何だか痛そうです。お医者さんに診てもらった方が・・・」と la maîtresse (先生) のコメント。
 « J’ai mal au ventre.» (お腹痛い) とも言うので、le lendemain (次の日) かかりつけの la pédiatre (小児科医) のところへ行くと、l’herpès (ヘルペス) かもしれないから、le dermatologue (皮膚科) で診てもらえとのこと。その足で近所の chez le dermatologue へ行ったら、やはり l’herpès で、感染力が強いため、しばらくは登園禁止と言われてしまいました。兄弟がいるならお風呂やタオルは一緒にしないこと、甘いものや辛いものは食べないように、などと注意を受け、 l’ordonnance (処方箋) を持って à la pharmacie (薬局) に行き、待っている間にしばらく欠席する旨を伝えるため la crèche に電話すると、「ちょうどよかったお母さん。ルカくんお熱が出ています」やれやれ、一難去って今度は二難、ため息が出そうになりましたが、l’herpès は le stresse (ストレス) や la fatigue (疲れ) も発症の引き金になるとのことで、母が寝込んでいる間、離れて寝かされていたことも一因かもしれないと思うと、子ども達が愛おしくなりました。
 口の周りに de la pommade (軟膏) と des pansements (絆創膏) を貼られてしょぼぼんとしているトマを元気付けようと「帰りにコンビニでプリン買って行こうか?」と言うと、「甘いものは食べちゃダメってお医者さんが言ってたよ」とトマ。それぞれ約1時間待ちの la clinique (診療所) をハシゴして、 la pharmacie で薬をもらった頃にはすでに midi (お昼) 近かったので、お弁当屋さんで「ドラえもんランチ」なるものを買って帰ったのですが、よりによって le dessert (デザート) にプリンが付いていました。「これお母さんにあげる。トマのデザートはヨーグルトにするね。お砂糖じゃなくて、きな粉かけて。」 うっかり者の母にしっかり者の息子をあてがって下さった神様に感謝しつつ、 ドラえもんプリンを食べました。
その翌々日、辛い物もダメなので大好きなカレーも我慢しているトマが不憫で「治ったら美味しいもの食べようね。何がいい?」と訊ねると、「ドラえもん弁当。プリンも食べる。」
完治したら特大のプリンを作ってやろうと思います。



la grippe


la grippe:インフルエンザ 
J’ai attrapé la grippe.(インフルエンザに罹りました)。 la semaine dernière (先週) は何だかずっと le manque de sommeil (睡眠不足) で、なんとなく la fatigue (疲れ) を感じていたのですが、vendredi soir (金曜の晩) それが des frissons (悪寒) と le mal de tête (頭痛) に変わり、samedi matin (土曜の朝) には de la fièvre (発熱) に。chez le docteur (お医者さん) に行ったら、「ちょっと痛いけど絶対動かないでね」と言われ、何やら綿棒と針金のコラボみたいなものを鼻からぐりぐりを入れられ、待つこと10分、「ほら、くっきり出てますね。A型」と、まるで妊娠検査薬を前におめでたを告げるようになぜかニコニコと言う docteur。こんな患者を毎日マスクもせずに診察してぴんぴんしているあなたが打っている la vaccination (予防接種) は通常の3倍の威力なのですか?来年は是非私にもそれを打って下さいと、詰め寄りたくなりましたが、そんな元気もなく、「熱が下がっても咳がひどくなって肺炎になっちゃう人もいるから、咳が出たらまた来て下さいね〜お大事にどうぞ〜」と送り出されました。そもそも、この仕事を始めてからはだいたい毎年 la vaccination を受けているのですが、今シーズンはなぜかうっかり受けそびれてしまっていたのも大きな敗因。子ども達の la crèche (保育園) で流行り始めてからは、毎日いつ来るかいつ来るかと心配で、気持ち的にもう負けていました。
予防にはうがいと手洗いが大事です
ヨレヨレと家に帰り着いた頃には la fièvre は39,2 ℃、体がバラバラになるのではないかと思うような痛みが全身に。高熱は lundi matin (月曜の朝) まで続きました。最近 de la fièvre くらいで l’ambulance (救急車) を呼ぶ患者がいると社会問題になっていますが、一人暮らしで近くに頼れる人もなく、コンビニもなくてしかも一文無しだったら l’ambulance を呼びたくなる気持ち、分からなくもないなと朦朧とした頭で思いつつ、襖の向こうで子ども達の世話と家事を引き受けてくれている mon mari (ダンナ) に改めて感謝。幸い子ども達にもうつっておらず、クラスの友達も何人か欠席しているトマは「le gargarisme (うがい) と手洗いちゃんとしなかったの?」とエラそうな口を利いてはみたものの、お手洗いなどで起きる度に「お母さんのことずっと心配してるよ。早く元気になってね!」と、タミフル並みの効果を発揮する優しい言葉をかけてくれます。ルカも母の異常なグッタリ度に何かを察しているらしく、顔を見ると「Maman !」とニコニコ寄って来そうになりますが、手で制するとそれ以上近づいては来ません。隔離されて寝ているので、1人でゆっくり眠りたいという積年の夢(大げさですが、切実でした・・・)も叶い、このまま卒乳もできそうで、思わぬ la grippe の恩恵に感謝です。

さて、子どもの頃の話は分かりませんが、今回がもしかしたら人生初の la grippe です。でも、大学4年の la fin d’année (暮れ) にやはり数日 une grosse fièvre (高熱) を出したことがことがあり、今思えばあれは la grippe だったのかもしれません。 当時は一人暮らしで、chez le docteur にも行かない私を心配して友人がお見舞いに来てくれたのですが、des médicaments (薬) と一緒に「飲む前に何か食べた方がいい」と言って、近所のお総菜屋で買ったと思われる、du riz (ご飯) とメンチカツを持って来てくれたのです。行為自体は涙が出るほどありがたかったのですが、39℃台の grosse fièvre がある時には何と言っても「おかゆさん」や、願わくば柔らかめにゆでた「けんちんうどん」などを頂きたいもので、メンチカツを見た時には目眩がしそうになったのですが、その後の関係に支障をきたさぬよう、お礼を言って少し食べた後 les médicaments を飲んで、今にも暴れ出しそうな胃袋を休めるべくすぐに横になりました。20年程前のことですが、今でも une grosse fièvre を出すと、あのメンチカツの味を思い出します。

Saint-Valentin


今日は le 14 février, la Saint-Valentin です。日本ではすっかり女性が男性に des chocolats を贈る日として定着し、職場で配られる義理チョコや、最近では友達同士で贈り合う友チョコや自分へのご褒美チョコなんてのもあるそうで、la Saint-Valentin は l’économie japonaise (日本経済) をかなり活性化するほどの行事になっているようですね。

Wikipédia でも、日本の le coutume (習慣) として « chocolats de la destinée » (destinée : 運命、宿命), « chocolats de courtoisie »(courtoisie : 礼儀) « chocolats de l’amitié »(amitié : 友情) が紹介されていました。妙な国だと思われていることでしょう。« chocolat de récompense » (récompense : ご褒美) も加筆してみましょうか。

さて、France では la fête des amoureux, 恋人達の日として祝われ、des couples (カップル) で au restaurant (レストラン) に食事に出掛けたり、 des cadeaux (プレゼント) を贈ったりします。日本と違うのは、le cadeau は男性から女性に贈られるという点と、les chocolats  よりも、des bouquets de fleurs (花束) や du parfum (香水), des bijoux (アクセサリー) などが選ばれるということ。

ホワイトデーももちろんありませんし、放課後に校庭でモジモジしながら la déclaration d’amour (愛の告白) をしている lycéenne (女子高生) なんてのもいません。そんなの、このご時世、日本でも絶滅したかもしれませんね。その代わり、フランスでよく見かけるのはこっちが恥ずかしくなるようなキスシーン。どこかで読んだのですが、le baiser (キス) は元々人間同士が、相手の気分や健康状態などを判断するために l’odeur (匂い) を嗅ぎ合っていたのが始まりだとか。ロマンチックな日に、こんなネタですみません。

le soja


soja :大豆
昨日は節分で、aujourd’hui (今日) から le calendrier (暦) の上では le printemps (春) だそうですが、日本も la France も la vague de froid (寒波) の影響で、まだまだ un froid de canard (厳しい寒さ) が続いていますね。でも子どもは風の子、息子達が通う la crèche (保育園) では、hier (昨日) この寒さの中、外で元気よく豆撒きをしたそうです。その晩遅く帰宅すると、家の前でじゃりっと何かを踏みつぶす感触が。豆撒きをしたんだな、と中に入ると、小オニが2匹平和な寝息を立てておりました。

さて、撒いた豆はもちろん大豆、フランス語では le soja と言います。フランス人は意外と豆好きですが、よく食卓に上るのは、les petits-pois (グリーンピース) や les haricots blancs (白インゲン), les fèves (ソラマメ), 付け合わせと言えば les haricots verts (サヤエンドウ), 名前が面白いのは les mange-tout, mange は食べる、tout は全部という意味で、サヤも中身も全部食べるサヤインゲンのこと。
珍しいところでは les lentilles (レンズ豆) や le pois chiche (ヒヨコ豆) なんかも食べます。de la viande (お肉) と煮込んだり、de la purée purée (ピュレ) にしたりと食べ方は様々ですが、あくまでも塩味で、日本のように甘い味付けにはしません。お土産などで、あんこの入った和菓子などを持っていった場合、うっかり «C’est une pâte de haricot rouge.»(小豆のペーストです) なんて説明したら、 «Euh…je n’ai pas très faim...» (あんまりお腹が空いてません) とか、«Je suis allergique au haricot...»(小豆アレルギーです) などと適当な言い訳を並べて食べてもらえない可能性大です。

フランスにも un gâteau de riz といって、ご飯でできたプリンのようなものがあり、ご丁寧にカラメルソースまでついているのですが、私も初めて見た時には「うへ〜勘弁して」と思ってしまいました。 un préjugé (先入観) を捨てて食べてみると美味しいのですが、フランス人にとって甘いお豆は、日本人にとって甘いご飯ほどの抵抗感のようです。なので、«C’est une pâtisserie traditionnelle du Japon.» (日本の伝統的なお菓子です) くらいの説明にして、まずは食べてもらいましょう。

le soja については、豆そのものを売っているのを見たことはありませんし、食べる人にもお目にかかったことはありませんが、la sauce de soja (醤油) は一般家庭にもかなり普及しており、les pousses / germes de soja (もやし;pousse, germe = 芽) は瓶詰めや缶詰だけでなく生のものも le marché (市場) や le super-marché で買えます。
お豆腐も bio (有機) 食品を取り扱っている売り場やお店では見かけるようになりました。mon mari (ダンナ) を始め、日本に住んでいるフランス人は枝豆も納豆も好きな人が多いので、そのうちフランスでヒットするかもしれませんね。老後はフランスの la campagne (田舎) で枝豆栽培というのもいいかも・・・?  
lentilles 
pois chiche

froid de canard


froid de canard 
寒い日が続いていますね。ここ数日のような、肌を刺すような寒さのことを、フランス語では un froid de canard と言います。un froid が「寒さ」、canard は「カモ、アヒル」のことです。

この表現は、la chasse au canard(カモ猟)の際、水際で獲物が近づいてくるのをじっと待っている時の、骨髄まで染み込むような寒さを表現しているらしいです。想像するだけで glagla ((寒くて)ブルブル)してしまいますね。

ところで、フランスの café(カフェ、喫茶店)で «Un café, s’il vous plaît.» (コーヒー1つ下さい) と注文すると、必ず横に un morceau de sucre (角砂糖) がついてきますが、この le sucre を du café の中にぽちゃんと浸したものも un canard と言います。わざわざ名前がついているくらいですから、この「コーヒーにぽちゃんと漬けた角砂糖」、かなり市民権を得ていて、café は noir (ブラック) が好きという人もこの canard をガリガリと食べていたりしますので、フランスで café に行ったら、un canard をかじっている人がいないか、周りを見回してみて下さい。

ちなみに、びしょ濡れになることを « être mouillé (trempé) comme un canard » 「カモのように濡れる:mouillé / trempé = 濡れる, comme = 〜のように」と言います。un cygne (白鳥) や un oie (がちょう) も水鳥なのに、やはりフランス人の生活には les canards が一番身近なのでしょうね。

le canard と言うと思い出すのが、フランスでの学生時代、Paris で就職した知人と一緒に le déjeuner (ランチ) に行った時のこと。何故か彼女の職場のオジ樣方数名とご一緒することになったのですが、連れて行かれた le restaurant の le plat de jour (日替わり料理) が le canard のローストでした。 

« Comme cuisson ? » (焼き加減は?) と聞かれて、オジ樣方は皆揃って « Rosé. » と答えています。cuisson と聞かれれば à point (ミディアム) と覚えていた私はドキドキしながら « Moi aussi. » と答えて待っていると、うっすらピンク色のちょうどいい案配に焼けた du canard が運ばれて来ました。à point は du boeuf (牛肉) に使う用語で、le canard には rosé というのだと、オジ樣方に教わりつつ、舌鼓を打ちました。  

la cuillère en bois


la cuillère en bois:木製のスプーン 
とても驚かれることが多いのですが、我が家の le petit déjeuner (朝食) の定番は納豆ご飯です。そしてその時に奪い合いになるのは une cuillère en bois (木のスプーン) 。la cuillère à soupe (スープ・スプーン) と la cuillère à dessert (デザート・スプーン) の間くらいの大きさで、le bol en céramique (陶器のボウル) に当たってもカチカチと言わないので、納豆にはちょうどいいのですが、わざわざ買った物ではなく、頂き物の un gâteau allemand (ドイツ菓子) か何かについていたものなので、1本しかないのです。食器屋さんや和の小物屋さんに寄る度に同じような物を探すのですが、なかなかちょうど良いのがなく、いっそのこと le gâteau を買おうかと、la carte (カード) が欲しくて le chocolat (チョコ) を買う子どもの心境になっています。以前は mon mari (ダンナ) と «Premier arrivé, premier servi.» (早い者勝ち) の暗黙のルールに則って、早起きした方がこの la cuillère en bois を使っていたのですが、最近この争奪戦に子ども達も参入してきました。hier matin (昨日の朝) はトマが素早く la cuisine (キッチン) に走って la cuillère を取って自分の席に座り、さあ納豆を口に運ぼうかという時に横から «C’est à Lucas !» (ルカの!)  とルカ。どうしてもトマには我慢をさせることが多いので、たまには介入しようと «Demain, ce sera ton tour. Aujourd’hui, c’est à Thomas.» (明日はルカの番にしようね。今日はトマの) とアンパンマンやミッキーの les cuillères を持ってきてやりましたが首を縦に振りません。そのうち「あいそはぐー、だんけんぽっ」(最初はグー、じゃんけんぽん) と、じゃんけんを挑んできました。ルカは半分程指が曲がった半端なパーを出して、チョキを出したトマにあっさり敗北。ややこしいことになったぞと思っていたら、トマが «Encore une fois.» (もう一回) と言い出し、なんと、後出しをしてルカに勝たせてやり、la cuillère をルカに譲りました。かくして、ルカはご満悦で納豆ご飯を食べ、母にべた褒めされたトマもなんだか誇らしげ、思いがけない平和的解決に母は驚くやらうれしいやら。les genoux de maman (母の膝) に始まり、la voiture de police (パトカー)、une capsule de bouteille en plastique (ペットボトルの蓋) に至るまで、とにかくなんでも同じ物を欲しがって des disputes (ケンカ) が絶えず、最近では可能な限り同じ物を2つ用意するようにしていましたが、1つの物を奪い合い、そして譲り合うことで育つ心もあるのだと学んだ朝です。
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